駅前の時計は、
今日も三分遅れている。
朝、改札へ急ぐ人は、
一度その文字盤を見てから、
自分の腕時計を確かめる。
学生は少し走り、
パン屋から出てきた人は
紙袋を抱え直す。
それでも、
時計は急がない。
いつから三分遅れているのか。
町を歩く人の多くは、
もう、その三分を
特別なこととして見ていない。
「三分遅いからね」
そう言って待ち合わせをする人もいる。
朝になれば、
駅前にはいつもの時間があり、
パン屋から小麦の匂いが流れ、
人はそれぞれの一日へ歩いていく。
ある夏の朝。
ランドセルを背負った子どもが、
時計の下で誰かを待っていた。
何度も道の向こうを見て、
時計を見る。
三分。
もう三分。
やがて角から、
息を切らしたもう一人が現れた。
遅い、と怒る代わりに、
待っていた子は言った。
「この時計なら、まだ間に合ってる」
二人は笑って走っていった。
その子たちが
その後どこへ行ったのかを、
時計は教えない。
同じ場所では、
仕事へ向かう人が列車を待ち、
町を離れる人が一度振り返り、
久しぶりに帰ってきた人が
昔と同じ文字盤を見上げてきた。
町は少しずつ変わった。
店が変わり、
道の角が変わり、
知っていた家がなくなることもある。
それでも、
駅前の時計は今日も三分遅い。
正確ではない。
夕方。
列車が出たあと、
人の少なくなった駅前で、
長い針がまた一つ進む。
時計の下には、
まだ誰かを待っている人がいる。
三分遅れたまま。